Picnika カントリーフォークロア 2024

2024/05/16

Picnikaの津留さんが選ぶ甘過ぎない、温もりを感じる可愛らしさに焦点を充てた"カントリーフォークロア "パート2を開催中です。前回は2年前でした。イベントと言うとPicnikaがまるっと運ばれてくるかのようなイメージを持たれている方が多いようなのですが、そのような趣旨ではありません。自分の目を通して当店にも似合いそうなものをメインにピックアップしてもらっています。Kitっぽい、というと定義が難しいのですがPicnikaを丸ごと楽しみたい方はぜひ実店舗へ。
数年前からコンテナを使って家具を輸入するようになってから更に幅が広がったと思います。私は買い物自体は得意なのですが、いかに良いものを選んで運び、販売するか...古物はメンテナンスも必要なものが多いし、円安の時代に日本で十分販売可能な価格に抑えることもバイヤーの仕事です。ただの買い物とは違って、実はそれがまず最初の難関で永遠の課題。私はまだこの課題がクリア出来ていなくて目下落第中ですが。木器、陶磁器、ガラス、ホーロー、アルミ、布ものまで、万遍なく好みのものがあり、これほど幅広い買い付けが出来るのは羨ましい限り。
全体的に低温で焼かれ、見た目以上に軽い絵皿。Picnikaには可愛らしい絵付けが常にありますが、画像の中(6番目)の中で私が1番好きなものがあります。そんな話をしたら「どれか当てましょうか?笑」と津留さん。見事当ててくれました。そういうものに限って誰も見てないな〜、と思うのですが(まだ売れておらず)津留さんが分かっていてくれて嬉しい!



六九工藝祭
アーティストキュレーション vol.2
「ままごと」

2024/05/08

柿渋染め作家・冨沢恭子さんが企画する松本での展示に参加します。
自分は何かを作れるわけではないので、さてどうするか …ですが、お題である「ままごと」が自分のもとにやって来たのは分かる気がしました。かれこれ20年以上、雑貨を売るという仕事をしておりますが実はそこに生活やストーリーといったものが本質的には無く、世の中をより”もの”っぽく、記号的に見ている自分がいます。素材と素材を合わせて全体を組む、そこに生まれる空気に興味があります。それは特別なものでは無く、なんてこと無いものです。ということで、作りはしないのですが合わせていきます。



六九工藝祭
アーティストキュレーション vol.2
「ままごと」
企画 冨沢恭子

芯となる思想や世界観を掲げるよりも、素材やモノを選びとる独自の観察眼をものすごく軽やかに空間に提示していると感じる作り手、選び手に、ある種の「ままごと性」を感じることがあります。子供が作りあげた、ごっこ遊びの空間や秘密基地、拾いあつめた宝物をしまう紙箱のなかのような安心感と、散らかりと、わずかな「不穏さ」。ディスプレイでもスタイリングでもないのに、力みのないその場には軽やかな驚きがあり胸がキュンとするのに甘すぎない。ただひょいと置いたように見えて、そのものが存在する空間全体にビビッドなリアリティを感じさせてくれる5組の「ままごと性」に焦点をあてます。

参加者)
Kit 椹木知佳子
オレリー・マティゴ
小松未季
立花文穂
sunui


2024年5月25(土)・26日(日)
11:00~17:00
六九通り「相模屋」跡
〒390-0874 長野県松本市大手 2丁目4-30

買い付け展02
(珍3)黒板

2024/03/08

李朝時代の黒板。
当然、使い倒されて現存するものが無いのか、そもそもあまり見ないのですがこちらは特に珍です〜。塗装にものすごく注目しました。白漆かな?と思いましたが上に思いっきり塗料が載ってる感もあり何か違う...と思い聞いてみると、卵白と松脂を練ったものを塗装しているそうです。小さなサイズの黒板は特に貴重であり、通常より厚みもあり、塗装が浸透して馴染んでいるのか、艶が出て非常にエレガンスな存在感を放っています。ひと目見ただけでも、お高そう。実際に今は使う事は出来ないのですが花台にするにも良く、テーブルに寝かせた時に安定感があることも重要です。とにかく木の艶が仕上がっているので堂々たるもの。
黒板自体、仕入れることが少ないのですが昨年から続けて豊作です。前回は墨が入りすぎて黒くなったもの、カーキ色に塗装(顔料?)された黒板を仕入れたのですが、滅茶苦茶に激しい絵画のような弾けっぷりがカッコ良くて木の味わいは無視でした。それらは茶人のもとへ旅立って行きました。皆さんどう使われているのだろか謎なのですが、機会があれば是非instagramにでも使用写真を投稿していただければと思います。

おまけ。こちらはとても小さなサイズで携帯用。しかも板は石で出来ています。通りで重いと思った!なんという贅沢品。使用感が出てうっすら紫がかっているのも最高。

買い付け展02
(珍2)ピッピ線

この10年間、少ないながらも何度か登場したピッピソン。ピッピ=電話、ソン=線の意味です。
こちらも自然素材の代用品として電話線で編まれた籠です。朝鮮戦争時代に登場し1960年代頃まで使われていました。最初に見たかたちは黒い線で編まれた市場籠でしたが、蓋物や魚籠などもあります。
調べてみると当時は物資不足からこのような創造性豊かな代用、リメイク品が多数誕生したようで、例えば砲弾を利用した灰皿、手榴弾のオイルランプ...などという癖の強い代物もあったようですが、流石にちょっと怖いですね。それこそ珍の中の珍品ですが...。
特に市場籠やストッカー(穀物や野菜を収穫、貯蔵したりするのに使用)はそれまでは藁、藤、竹などで編まれており、生活必需品ですから様ざまなかたちが生まれました。きっとこれも製作者は女性だろうなあ...と思わせられるような配色、愛らしいかたちのものが多く、電話線だから長持ちすると重宝されたそうです。喪失のさなかでも人は新しいものを生み出します。エネルギーの転換。私はそこにこそ芸術を感じます。

買い付け展02
(珍1)バンダチ風石油コンテナ / セルロイドの折り畳みソバン

珍品シリーズその1。
久しぶりにこれぞ...!と唸る面白いものを見つけました。非常に珍しいもので私がまた会いたかったもの、それは1930〜40年代に使用された石油コンテナ。2015年に偶然に幾つかこのコンテナを持っている業者に会い、仕入れることが出来たのですがどれも手づくりで仕様はバラバラ、その後見ることはありませんでした。特に状態が良く、バンダチ(収納棚)のかたちになっているのは更に珍しい。
当時の韓国で代表的な石油輸入配給機関であった朝鮮石油株式會社が代理店として扱っていた主要ブランド・ニューヨークスタンダード石油会社(New york standard Oil)の名がハングルで記されています。この会社は朝鮮戦争勃発後に撤退したようですが、その石油を積むコンテナとして使われいたもの。米軍政期(1945~48年)には街頭で靴磨きをする幼い少年家長たちがこのコンテナの中に道具を入れて通い、お客さんが来たら寝かせて脚置きにするという方法で使用するケースが多くあったそうです。子どもが持つには大きく重たい商売道具ですが、かつてそうした時代があったことを記憶する近代の遺産でもあるのです。


続いて輪花型のソバン。意外とこういうものこそ見つからないのですが...初めて見ました。需要があるかどうか不明ですが個人的にこういうHENなもの大歓迎。ソバンは台所でつくった食事を乗せ、そのまま居間に運んで床の上で食べるのに使った一人用のお膳です。現代の食卓ではソバンを日常的に使うことはほぼ無さそうですが、1960~70年代に簡易版として現れて一瞬で消えたもよう。セルロイドは燃え易いのでそのうち樹脂にとって代わられ、そういった意味でも長く活躍しなかった素材です。これは図らずも茶色でなんとなく木目調に見えなくないのも騙し絵的でクスっと笑ってしまいます。
珍品が好き。時代の隙間に代用品、副産物またはプロトタイプとして一瞬現れ、すぐ忘れ去られたもの。まさに時代を表す鏡であり、そういうものに魅力を感じてしまいます。

買い付け展02
K刺繍

2024/03/07

家庭に入ったら針仕事。そんなことは当たり前だった時代に大量につくられたであろう刺繍、パッチワークもの。お嫁入りする際には手刺繍でダブルハピネス(囍)マークやsweet homeなどの英字をあしらったタオル、枕カバーを贈られることはよくあったようです。
そんな中でもさり気なくステッチされたものを探しています。これまで何度も見た中でもトランプ模様や身近にあるハンアリ(壺)を刺した韓国らしいモチーフが私好み。大作に取り掛かろうとして途中で力尽きたと思われる未完の大作もあり、ペンシルの跡が残ったりしていますがそれも良い。裏返して使っても良いなあ、、と惚れ惚れ。リネンや手紡ぎ手織りのコットンに刺したものも多く、素材感も良いものを求めています。なるべく願いを込めた文言が入っていない意味の無いものが好ましく、遊びの利いたものも大好き。お母さんの刺繍のハンカチを持っている人は今では珍しいと思いますが、素人のセンスが詰まった布を私は愛します。
そしてそれをK刺繍と名付け広めようとしていますが、まったく、浸透しておりません。

買い付け展 02
ポジャギ

2024/03/03

今まで何枚仕入れて販売した分からないくらいのポジャギ。「お包み」という意味(ポジャン=包装という意味から)でチョガッポという「端切れを縫い合わせた布」の一つでもあります。ポジャギは風呂敷のように衣類を包んだりすることが多く90cm〜100cm角が一般的な大きさのようですが、それ以下、それ以上のものも時どき。ほとんどが手縫いですが、足踏みミシンが韓国に入ってきて100年は経っているそうですから、ミシン混じりのものもあります。古く、状態の良いものは以前より入手困難になってきました。
10年前は生成りや白の素朴な苧麻、大麻のポジャギのイメージが強く、美しい素材感に惹かれていましたが、何度も通ううちに変わり種を仕入れることが多くなってきました。今回も変なものから名作まで色いろあります。写真上から「カプサ」「藍染」「生苧麻」のポジャギです。


「カプサ」
1950年代から登場したレーヨンの一種。漢字で書くと甲紗になるようです。当時のカプサはよりシルクっぽい風合いで、主に肌着として使われた布地の端切れで作られているせいかキッチュ、艶かしいものが多めで、もう少し時代が進みポリエステルになるとインチョ(人造)のポジャギが登場します。こちらはところどころピンクに染まった白いカプサで、他の布が色移りしたのか、縫代をピンクのペンで描いたのか...定かではありませんが、ピンクが好きなせいか良いポイントになっています。

「藍染」
苧麻に藍染のポジャギ。それもかなり厚手の布で何度か重ねて濃く染めたであろうジーンズの風合いで、かなり珍しい。細番手で苧麻の可憐な水色ポジャギは見たことがありますが、ここまでジーンズなのは初めて。かたちはポジャギですが、国籍不明で面白い布だと思います。

「生苧麻」
センモシと呼ばれる苧麻の繊維を撚(よ)って糸にせず繊維のまま布にしたもの。硬くハリがあり、白く漂白した生苧麻はポリエステルのような人造チックな不思議な風合い。端切れが細かく数の多い、手の込んだポジャギはデザインにもよりますが私にとって逆に艶かしく(マダム感?)好みでは無いのですが、この素材にすると魅力的。少しシミもありますが、許容範囲内ということで仕入れてきました。


その他、ほぼ変わり種ばかりのポジャギを仕入れています。年代ははっきりしませんが大体1950年〜80年代くらいかなと。韓国では今つくられているポジャギもあり、新しい方が実用的に使うには良いと思うのですが、私が紹介するのはほぼ古布です。昔は手織の布で服を仕立てて、その残りを半ば無理矢理1枚に繋ぎ合わせたのは時代の必然でした。副産物としての美しさ、心をかたちにした1枚である点に惹かれているからです。古いから良いというわけでは無いのですが、残りものに再び美を与えた女性たちのお洒落心に私はいつも感動しています。

買い付け展02の
買い付け日記(5)

2024/03/02

帰国しました。当然のことかもしれませんがタイは発展し、物価が思ったより上がってました。そしてとても感激したのはどの場所でもトイレが綺麗だったこと。25年前の水回り事情がどうだったか記憶に無いのですが、トイレが綺麗な国は道端にゴミが落ちていない説があると思うのですがどうでしょうか。
最後の食事はミャンマー料理のBBレストラン。店名も看板もカッコ良くて器の使い方もきっと適当なんだけど、なんか可愛い。塩の加減、葉もの野菜やナッツ、スパイスの使い方が絶妙ですんごい好み。その日のメニューにあったナマズのカレー、臭みが無くて美味しかったなあ...。ここは旅の前半にも来ていたのだけれど切望して再訪。タイの屋台や食堂は飲みもの持ち込みOKであることが多く、ラオスやタイのクラフトビールをわざわざ買い込んで持ち込みました。日本でも色んなジャンルの料理を食べているはずなのに、今回の旅では知らない味をたくさん教えて貰った気がします。

到着から出国まで、チェンマイに長期滞在中のiroiroの小阪靖子さんに大変お世話になり(タイ文化人類学)スペシャルサンクスです。一緒に取ってもらったホテルは広くて、間取りが気持ち良くて最高。着いた翌日に市場に行って小阪さんは蘭を、私はチューリップを買って飾りました。涼しい朝のうちに仕事を始めるので、日差しがキツい午後にはもう電池切れになり昼から早々にビールが飲みたくなる始末。「ここでは誰も止めませんよ」とのことなので遠慮なく。染みますね。ある暑い日、偶然入った土産物屋の奥にデッドストックのタイシルクを見つけました。好みの色の、チェックや花柄の反物ですが、どれも短くてマチマチ。中途半端な長さしか無かったピンクチェックだけは持って帰り、あとはiroiro - meditation pantsに仕立ててもらうよう工場に回して貰いました。その他、去年は無かった無地の色も夏に入る予定ですのでお楽しみに。
iroiro ONLINE STOREではチェンマイを拠点に服の製作をしながら見つけたタイのものを「受注仕入れ」と称して現地から注文を受付中。この方法は実験的で面白いし、全体的にiroiroっぽい構成になってます。ぽさ、というのは一言で言えないから尊いんですが、お客さんもそれを分かっているはず。

出国審査を終えて、昔のことを思い出していました。前回もほとんどチェンマイにいて、帰国する直前にバンコクに帰ったことは以前の日記に書いた通りですが、前夜に一泊した宿で知り合った日本人女性と一緒にトムヤムクンを食べたのでした。当時25歳くらいで、帰国したら陶芸を学びたくて瀬戸にある訓練校に入るんだ、と言ってました。確か名古屋人で、京都のパン屋が好きで、一乗寺の天然酵母パンの先駆け「こせちゃ」や西陣「ほんやら洞」のパンが美味しくてわざわざ買いに行くと教えてくれました。当時の私は器とかパンは人ではなくて機械が製造するものだと思っていたので、あまりイメージが出来ないまま話を聞いたことを覚えています。カラフルな可愛い古着を着た、黒髪のボブ、小柄で色白のメガネをかけたあの時のお姉さん、今でも陶芸をしているのでしょうか?万が一これを読んでいたらDM下さい。笑

買い付け展02の
買い付け日記(4)

2024/02/29

寒いソウルから暑いチェンマイへ来てもう10日が経ち、明日帰国です。お決まりの梱包作業も終えてお気に入りのコーヒーショップに来ました。チェンマイの山で採れた豆の深煎り、アイス、アーモンドミルク割で。チェンマイでなぜか現金12,000円ぐらいを落とした程度で今回は大した事件がなく安堵しております。毎回大事件1、小事件10ぐらいあるので出国まで気は抜けませんが。

ここに来てすぐにiroiroの小阪靖子さんと合流しました。1997年創業以来ずっとタイを行ったりきてりしている達人にガイドしてもらい、25年ぶりにここを訪れるトラベル・トラブルメーカーの私としてはありがたい限りです。ここ数年、小阪さんがタイで製作されているシルク、コットン、カシミヤウールなどのパンツを夏に販売しているのですが、一緒に生地を選ばせてもらったり、一緒に市場へ行ったり。タイでのもの作り事情なども垣間見えて勉強になりました。色んな料理を教えてもらい、特に気に入ったのがシャン族、イサーン(タイの東北)、ミャンマー料理。大陸だから異文化の混じり合いが面白くて、買い付けではミャンマーの漆を買えたのも嬉しい。ここは野焼きの影響で大気汚染が激しい毎日らしいけれど、朝晩涼しく日中もカラッとした暑さで過ごし易く、人びとものんびり屋さんで、私には過ごしやすかった。甘酸っぱいフレッシュなカットパインがしみじみ染みわたる、そんな気持ち良さ。

99年に卒業旅行で訪れて、たまたま朝市の行商で来ていたリス族のアンポンちゃんと言葉を交わし、購入したリス族の手縫いの小物入れを今でも大事にしています。もうあの時のような染色の、手の込んだ針仕事の民芸品は無いだろうなと分かりつつ、vintageが無いか気にしながら歩いたけれど見つけられませんでした。ジャスミンの花輪をもう一度買いに行きたかったけれど、それも時間切れ。
今、トラベルがトラブルという言葉に似てるなーと思い調べたところ、語源で「労苦を伴う努め」の意味だそうです。いやー、ここまで本当に早く、長かった…でも旅はまだまだ続いていきます。あの時も今日も心を小休止させてくれるタイ、チェンマイにまた必ずや来たいと思います。

買い付け展02の
買い付け日記(3)

2024/02/24

タイ・チェンマイに来ました。
25年ぶりです。90年代後半からバックパックの旅をする人が増えて、「自分探しの旅」というワードが盛んに使われていた時代。
それに対して山田詠美が「どこにも無い自分を探してるのが今のあなたでしょ」と揶揄したりしていました。
大学を卒業し、タイ航空のCM(タイは若いうちに行け、タイラブユー byいしだ壱成)を見て、私も漏れなく一人バックパックを背負い、一眼レフをぶら下げて旅に出たクチです。頼れるものは「地球の歩き方」だけ。それなのに何も決めずにバンコクへ降り、そのまま駅まで行き夜行列車に乗って朝にはチェンマイに着いていました。ちょうどあの時と同じ時期にまたここに来ました。あっ、チェンマイ。そう思いました。降り立った瞬間にあの時の空気、日差し、温度や色を思い出して懐かしみました。

着いてからひとまず腹ごしらえをして、市場をうろうろ。砂糖抜きのパッションフルーツジュースやカットパインを食べて暑さを凌ぎます。お供えに使うジャスミンの花を一つ一つつなげた花輪を買って持ち歩いていたら、暑さで蕾が開いて満開になり素晴らしい香り。部屋に帰ってパウダールームや枕元に置くのも気持ち良い。ああ南国、癒し。 市場で発見したミッキー型髪留め。
こういうところにありそう、と思ったら大体あるキャラクターの無断使用デザイン。ライフワークで探してるやつ。 二十歳にもなれば就職活動をしたり、留学をする同級生がいる中で自分はどうすべきか分からずまさに自分探し状態になっていたあの頃、とりあえずリクルートスーツを着て就職活動というのが嫌すぎて、大学院に逃げることにしました。一旦セーフだけど、これからどうしようかと鬱鬱しながら出発し始まった旅は大正解で、ここでは大く息を吸って別人のように元気でいられた。バンコクには帰国まで戻らずに北の方をうろうろして終わった旅でしたが、その後に現実すぎる現実に戻ったのは言わずもがな。あの時はこの国に絶対に戻ってくる!と熱っぽく思っていたのにそうしなかったのはまた別の物語がありまして...25年を経てやっとここに降り立ちました。

あの時は今のためにあったんだ、そんなことを思いながら早速ここでも少しずつ買い付けを始めています。タイに来たのは来年の買い付け展03の下準備とまた別の仕事のためで、今回の買い付け展にタイ産は出さない考えでしたが、市場で売られている生き生きとした農作物や人々を見ているとこれは新鮮なまま出すべきかな〜と考えが変わりました。そのまま採って出し、ということでリアルに生きることにします。
タイのものも韓国のものと少し並べます。
IG TW
© SANKAKUHA inc.