買い付け展02
(珍3)黒板

2024/03/08

李朝時代の黒板。
当然、使い倒されて現存するものが無いのか、そもそもあまり見ないのですがこちらは特に珍です〜。塗装にものすごく注目しました。白漆かな?と思いましたが上に思いっきり塗料が載ってる感もあり何か違う...と思い聞いてみると、卵白と松脂を練ったものを塗装しているそうです。小さなサイズの黒板は特に貴重であり、通常より厚みもあり、塗装が浸透して馴染んでいるのか、艶が出て非常にエレガンスな存在感を放っています。ひと目見ただけでも、お高そう。実際に今は使う事は出来ないのですが花台にするにも良く、テーブルに寝かせた時に安定感があることも重要です。とにかく木の艶が仕上がっているので堂々たるもの。
黒板自体、仕入れることが少ないのですが昨年から続けて豊作です。前回は墨が入りすぎて黒くなったもの、カーキ色に塗装(顔料?)された黒板を仕入れたのですが、滅茶苦茶に激しい絵画のような弾けっぷりがカッコ良くて木の味わいは無視でした。それらは茶人のもとへ旅立って行きました。皆さんどう使われているのだろか謎なのですが、機会があれば是非instagramにでも使用写真を投稿していただければと思います。

おまけ。こちらはとても小さなサイズで携帯用。しかも板は石で出来ています。通りで重いと思った!なんという贅沢品。使用感が出てうっすら紫がかっているのも最高。

買い付け展02
(珍2)ピッピ線

この10年間、少ないながらも何度か登場したピッピソン。ピッピ=電話、ソン=線の意味です。
こちらも自然素材の代用品として電話線で編まれた籠です。朝鮮戦争時代に登場し1960年代頃まで使われていました。最初に見たかたちは黒い線で編まれた市場籠でしたが、蓋物や魚籠などもあります。
調べてみると当時は物資不足からこのような創造性豊かな代用、リメイク品が多数誕生したようで、例えば砲弾を利用した灰皿、手榴弾のオイルランプ...などという癖の強い代物もあったようですが、流石にちょっと怖いですね。それこそ珍の中の珍品ですが...。
特に市場籠やストッカー(穀物や野菜を収穫、貯蔵したりするのに使用)はそれまでは藁、藤、竹などで編まれており、生活必需品ですから様ざまなかたちが生まれました。きっとこれも製作者は女性だろうなあ...と思わせられるような配色、愛らしいかたちのものが多く、電話線だから長持ちすると重宝されたそうです。喪失のさなかでも人は新しいものを生み出します。エネルギーの転換。私はそこにこそ芸術を感じます。

買い付け展02
(珍1)バンダチ風石油コンテナ / セルロイドの折り畳みソバン

珍品シリーズその1。
久しぶりにこれぞ...!と唸る面白いものを見つけました。非常に珍しいもので私がまた会いたかったもの、それは1930〜40年代に使用された石油コンテナ。2015年に偶然に幾つかこのコンテナを持っている業者に会い、仕入れることが出来たのですがどれも手づくりで仕様はバラバラ、その後見ることはありませんでした。特に状態が良く、バンダチ(収納棚)のかたちになっているのは更に珍しい。
当時の韓国で代表的な石油輸入配給機関であった朝鮮石油株式會社が代理店として扱っていた主要ブランド・ニューヨークスタンダード石油会社(New york standard Oil)の名がハングルで記されています。この会社は朝鮮戦争勃発後に撤退したようですが、その石油を積むコンテナとして使われいたもの。米軍政期(1945~48年)には街頭で靴磨きをする幼い少年家長たちがこのコンテナの中に道具を入れて通い、お客さんが来たら寝かせて脚置きにするという方法で使用するケースが多くあったそうです。子どもが持つには大きく重たい商売道具ですが、かつてそうした時代があったことを記憶する近代の遺産でもあるのです。


続いて輪花型のソバン。意外とこういうものこそ見つからないのですが...初めて見ました。需要があるかどうか不明ですが個人的にこういうHENなもの大歓迎。ソバンは台所でつくった食事を乗せ、そのまま居間に運んで床の上で食べるのに使った一人用のお膳です。現代の食卓ではソバンを日常的に使うことはほぼ無さそうですが、1960~70年代に簡易版として現れて一瞬で消えたもよう。セルロイドは燃え易いのでそのうち樹脂にとって代わられ、そういった意味でも長く活躍しなかった素材です。これは図らずも茶色でなんとなく木目調に見えなくないのも騙し絵的でクスっと笑ってしまいます。
珍品が好き。時代の隙間に代用品、副産物またはプロトタイプとして一瞬現れ、すぐ忘れ去られたもの。まさに時代を表す鏡であり、そういうものに魅力を感じてしまいます。

買い付け展02
K刺繍

2024/03/07

家庭に入ったら針仕事。そんなことは当たり前だった時代に大量につくられたであろう刺繍、パッチワークもの。お嫁入りする際には手刺繍でダブルハピネス(囍)マークやsweet homeなどの英字をあしらったタオル、枕カバーを贈られることはよくあったようです。
そんな中でもさり気なくステッチされたものを探しています。これまで何度も見た中でもトランプ模様や身近にあるハンアリ(壺)を刺した韓国らしいモチーフが私好み。大作に取り掛かろうとして途中で力尽きたと思われる未完の大作もあり、ペンシルの跡が残ったりしていますがそれも良い。裏返して使っても良いなあ、、と惚れ惚れ。リネンや手紡ぎ手織りのコットンに刺したものも多く、素材感も良いものを求めています。なるべく願いを込めた文言が入っていない意味の無いものが好ましく、遊びの利いたものも大好き。お母さんの刺繍のハンカチを持っている人は今では珍しいと思いますが、素人のセンスが詰まった布を私は愛します。
そしてそれをK刺繍と名付け広めようとしていますが、まったく、浸透しておりません。

買い付け展 02
ポジャギ

2024/03/03

今まで何枚仕入れて販売した分からないくらいのポジャギ。「お包み」という意味(ポジャン=包装という意味から)でチョガッポという「端切れを縫い合わせた布」の一つでもあります。ポジャギは風呂敷のように衣類を包んだりすることが多く90cm〜100cm角が一般的な大きさのようですが、それ以下、それ以上のものも時どき。ほとんどが手縫いですが、足踏みミシンが韓国に入ってきて100年は経っているそうですから、ミシン混じりのものもあります。古く、状態の良いものは以前より入手困難になってきました。
10年前は生成りや白の素朴な苧麻、大麻のポジャギのイメージが強く、美しい素材感に惹かれていましたが、何度も通ううちに変わり種を仕入れることが多くなってきました。今回も変なものから名作まで色いろあります。写真上から「カプサ」「藍染」「生苧麻」のポジャギです。


「カプサ」
1950年代から登場したレーヨンの一種。漢字で書くと甲紗になるようです。当時のカプサはよりシルクっぽい風合いで、主に肌着として使われた布地の端切れで作られているせいかキッチュ、艶かしいものが多めで、もう少し時代が進みポリエステルになるとインチョ(人造)のポジャギが登場します。こちらはところどころピンクに染まった白いカプサで、他の布が色移りしたのか、縫代をピンクのペンで描いたのか...定かではありませんが、ピンクが好きなせいか良いポイントになっています。

「藍染」
苧麻に藍染のポジャギ。それもかなり厚手の布で何度か重ねて濃く染めたであろうジーンズの風合いで、かなり珍しい。細番手で苧麻の可憐な水色ポジャギは見たことがありますが、ここまでジーンズなのは初めて。かたちはポジャギですが、国籍不明で面白い布だと思います。

「生苧麻」
センモシと呼ばれる苧麻の繊維を撚(よ)って糸にせず繊維のまま布にしたもの。硬くハリがあり、白く漂白した生苧麻はポリエステルのような人造チックな不思議な風合い。端切れが細かく数の多い、手の込んだポジャギはデザインにもよりますが私にとって逆に艶かしく(マダム感?)好みでは無いのですが、この素材にすると魅力的。少しシミもありますが、許容範囲内ということで仕入れてきました。


その他、ほぼ変わり種ばかりのポジャギを仕入れています。年代ははっきりしませんが大体1950年〜80年代くらいかなと。韓国では今つくられているポジャギもあり、新しい方が実用的に使うには良いと思うのですが、私が紹介するのはほぼ古布です。昔は手織の布で服を仕立てて、その残りを半ば無理矢理1枚に繋ぎ合わせたのは時代の必然でした。副産物としての美しさ、心をかたちにした1枚である点に惹かれているからです。古いから良いというわけでは無いのですが、残りものに再び美を与えた女性たちのお洒落心に私はいつも感動しています。

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買い付け日記(5)

2024/03/02

帰国しました。当然のことかもしれませんがタイは発展し、物価が思ったより上がってました。そしてとても感激したのはどの場所でもトイレが綺麗だったこと。25年前の水回り事情がどうだったか記憶に無いのですが、トイレが綺麗な国は道端にゴミが落ちていない説があると思うのですがどうでしょうか。
最後の食事はミャンマー料理のBBレストラン。店名も看板もカッコ良くて器の使い方もきっと適当なんだけど、なんか可愛い。塩の加減、葉もの野菜やナッツ、スパイスの使い方が絶妙ですんごい好み。その日のメニューにあったナマズのカレー、臭みが無くて美味しかったなあ...。ここは旅の前半にも来ていたのだけれど切望して再訪。タイの屋台や食堂は飲みもの持ち込みOKであることが多く、ラオスやタイのクラフトビールをわざわざ買い込んで持ち込みました。日本でも色んなジャンルの料理を食べているはずなのに、今回の旅では知らない味をたくさん教えて貰った気がします。

到着から出国まで、チェンマイに長期滞在中のiroiroの小阪靖子さんに大変お世話になり(タイ文化人類学)スペシャルサンクスです。一緒に取ってもらったホテルは広くて、間取りが気持ち良くて最高。着いた翌日に市場に行って小阪さんは蘭を、私はチューリップを買って飾りました。涼しい朝のうちに仕事を始めるので、日差しがキツい午後にはもう電池切れになり昼から早々にビールが飲みたくなる始末。「ここでは誰も止めませんよ」とのことなので遠慮なく。染みますね。ある暑い日、偶然入った土産物屋の奥にデッドストックのタイシルクを見つけました。好みの色の、チェックや花柄の反物ですが、どれも短くてマチマチ。中途半端な長さしか無かったピンクチェックだけは持って帰り、あとはiroiro - meditation pantsに仕立ててもらうよう工場に回して貰いました。その他、去年は無かった無地の色も夏に入る予定ですのでお楽しみに。
iroiro ONLINE STOREではチェンマイを拠点に服の製作をしながら見つけたタイのものを「受注仕入れ」と称して現地から注文を受付中。この方法は実験的で面白いし、全体的にiroiroっぽい構成になってます。ぽさ、というのは一言で言えないから尊いんですが、お客さんもそれを分かっているはず。

出国審査を終えて、昔のことを思い出していました。前回もほとんどチェンマイにいて、帰国する直前にバンコクに帰ったことは以前の日記に書いた通りですが、前夜に一泊した宿で知り合った日本人女性と一緒にトムヤムクンを食べたのでした。当時25歳くらいで、帰国したら陶芸を学びたくて瀬戸にある訓練校に入るんだ、と言ってました。確か名古屋人で、京都のパン屋が好きで、一乗寺の天然酵母パンの先駆け「こせちゃ」や西陣「ほんやら洞」のパンが美味しくてわざわざ買いに行くと教えてくれました。当時の私は器とかパンは人ではなくて機械が製造するものだと思っていたので、あまりイメージが出来ないまま話を聞いたことを覚えています。カラフルな可愛い古着を着た、黒髪のボブ、小柄で色白のメガネをかけたあの時のお姉さん、今でも陶芸をしているのでしょうか?万が一これを読んでいたらDM下さい。笑

買い付け展02の
買い付け日記(4)

2024/02/29

寒いソウルから暑いチェンマイへ来てもう10日が経ち、明日帰国です。お決まりの梱包作業も終えてお気に入りのコーヒーショップに来ました。チェンマイの山で採れた豆の深煎り、アイス、アーモンドミルク割で。チェンマイでなぜか現金12,000円ぐらいを落とした程度で今回は大した事件がなく安堵しております。毎回大事件1、小事件10ぐらいあるので出国まで気は抜けませんが。

ここに来てすぐにiroiroの小阪靖子さんと合流しました。1997年創業以来ずっとタイを行ったりきてりしている達人にガイドしてもらい、25年ぶりにここを訪れるトラベル・トラブルメーカーの私としてはありがたい限りです。ここ数年、小阪さんがタイで製作されているシルク、コットン、カシミヤウールなどのパンツを夏に販売しているのですが、一緒に生地を選ばせてもらったり、一緒に市場へ行ったり。タイでのもの作り事情なども垣間見えて勉強になりました。色んな料理を教えてもらい、特に気に入ったのがシャン族、イサーン(タイの東北)、ミャンマー料理。大陸だから異文化の混じり合いが面白くて、買い付けではミャンマーの漆を買えたのも嬉しい。ここは野焼きの影響で大気汚染が激しい毎日らしいけれど、朝晩涼しく日中もカラッとした暑さで過ごし易く、人びとものんびり屋さんで、私には過ごしやすかった。甘酸っぱいフレッシュなカットパインがしみじみ染みわたる、そんな気持ち良さ。

99年に卒業旅行で訪れて、たまたま朝市の行商で来ていたリス族のアンポンちゃんと言葉を交わし、購入したリス族の手縫いの小物入れを今でも大事にしています。もうあの時のような染色の、手の込んだ針仕事の民芸品は無いだろうなと分かりつつ、vintageが無いか気にしながら歩いたけれど見つけられませんでした。ジャスミンの花輪をもう一度買いに行きたかったけれど、それも時間切れ。
今、トラベルがトラブルという言葉に似てるなーと思い調べたところ、語源で「労苦を伴う努め」の意味だそうです。いやー、ここまで本当に早く、長かった…でも旅はまだまだ続いていきます。あの時も今日も心を小休止させてくれるタイ、チェンマイにまた必ずや来たいと思います。

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買い付け日記(3)

2024/02/24

タイ・チェンマイに来ました。
25年ぶりです。90年代後半からバックパックの旅をする人が増えて、「自分探しの旅」というワードが盛んに使われていた時代。
それに対して山田詠美が「どこにも無い自分を探してるのが今のあなたでしょ」と揶揄したりしていました。
大学を卒業し、タイ航空のCM(タイは若いうちに行け、タイラブユー byいしだ壱成)を見て、私も漏れなく一人バックパックを背負い、一眼レフをぶら下げて旅に出たクチです。頼れるものは「地球の歩き方」だけ。それなのに何も決めずにバンコクへ降り、そのまま駅まで行き夜行列車に乗って朝にはチェンマイに着いていました。ちょうどあの時と同じ時期にまたここに来ました。あっ、チェンマイ。そう思いました。降り立った瞬間にあの時の空気、日差し、温度や色を思い出して懐かしみました。

着いてからひとまず腹ごしらえをして、市場をうろうろ。砂糖抜きのパッションフルーツジュースやカットパインを食べて暑さを凌ぎます。お供えに使うジャスミンの花を一つ一つつなげた花輪を買って持ち歩いていたら、暑さで蕾が開いて満開になり素晴らしい香り。部屋に帰ってパウダールームや枕元に置くのも気持ち良い。ああ南国、癒し。 市場で発見したミッキー型髪留め。
こういうところにありそう、と思ったら大体あるキャラクターの無断使用デザイン。ライフワークで探してるやつ。 二十歳にもなれば就職活動をしたり、留学をする同級生がいる中で自分はどうすべきか分からずまさに自分探し状態になっていたあの頃、とりあえずリクルートスーツを着て就職活動というのが嫌すぎて、大学院に逃げることにしました。一旦セーフだけど、これからどうしようかと鬱鬱しながら出発し始まった旅は大正解で、ここでは大く息を吸って別人のように元気でいられた。バンコクには帰国まで戻らずに北の方をうろうろして終わった旅でしたが、その後に現実すぎる現実に戻ったのは言わずもがな。あの時はこの国に絶対に戻ってくる!と熱っぽく思っていたのにそうしなかったのはまた別の物語がありまして...25年を経てやっとここに降り立ちました。

あの時は今のためにあったんだ、そんなことを思いながら早速ここでも少しずつ買い付けを始めています。タイに来たのは来年の買い付け展03の下準備とまた別の仕事のためで、今回の買い付け展にタイ産は出さない考えでしたが、市場で売られている生き生きとした農作物や人々を見ているとこれは新鮮なまま出すべきかな〜と考えが変わりました。そのまま採って出し、ということでリアルに生きることにします。
タイのものも韓国のものと少し並べます。

買い付け展02の
買い付け日記(2)

2024/02/21

誰?
これは仕入れなかったのですが、今思えば仕入れときゃ良かったなあ...と。
でも次回来る時も残ってそうだし。大邱(テグ)では色いろと買えたけど、なんとなく商品があまり追加され無さそうな予感、大です。

ソウルでは古物の仕入れはせずに別の用事を済ませてタイに移動するつもりだったから、しばらく訪れていなかった市場などをサラリと回ることにしました。久しぶりに反物屋へ行き、ダブルガーゼの手縫いの布巾を発見、とりあえず吸水性などチェックしたくてサンプルを購入。宿で使用感をチェックしたら、洗いものを拭いても繊維が残らなくて使い勝手が良く手縫いの糸も可愛い。布類は最終日にまとめて仕入する事に。
事前に下見した時に目星を付けていた布を買いに市場へ。今回は韓糸+シルク / 韓糸+コットン / 韓糸+大麻 / ローシルクの反物を選ぶことにしました。韓糸+シルクの反物は以前こちらでご紹介したことがありますが、韓糸(ハンジ)は手漉きの紙。
洗うと縮んでシボのある布になります。皆さん何に使われるのだろう??と不思議なのですが、魅力のある素材感で紙という点がKitっぽいということで選択。

10年前、古着市場でどうにもならないアンゴラとかカシミヤのセーターをお婆さんがリメイクして手袋にしていた事を思い出して探しました。
多分このあたりだったかな〜とウロウロ。古着の山の頂きにお婆さんが鎮座してチクチクやっている、という衝撃のお姿でしたがさすがにもういらっしゃらない。
手編みのポシェット(編み方は韓国民芸品によくある技法)とかスカーフとか、刺繍入りの布小物とか、当時は目に入らなかったものが見えてきて意外と発見があった。また来よう。帰り道にビニール袋にグチャグチャに突っ込まれたスカーフの中から韓国的(赤と青)のハートを見つけました。
2枚セットで買わないとダメよ、と言われて必死で可愛いのが無いか探す。あったあった、おばちゃんぽいちょっとレトロな花柄が。

いったん荷物を送ろうと市場近くの郵便局へ。しばらく来ない間に荷受けがオンライン登録になっており、外国人には難易度★★★★★。
受付のおばちゃんも助けてくれないし、思った以上に時間を取られてクタクタに→まだ仕入れが残っていたけれど帰国の時間が迫っていて、残念ながらここで終了→バスで宿へ向かうもまさかの乗り間違う→途中で蒸しアンパンを買い食いし頬張りながら急いで空港へ→と、いつもこんな感じでバッタバタ。やり残した宿題が残ってしまいますが、次回へ持ち越すとします。私にとってここはいつでも帰って来れる場所になりました。

こんにちは、さようならの意味があるアンニョン。 良い言葉です。
アンニョン韓国。

買い付け展02の
買い付け日記(1)

2024/02/17

韓国に来ています。
去年の秋にも来ていたのですが、ソウルから地方に行こうと思っていたのにミスで資金を出金できくなって途中でゲームアウト。無為にソウルで過ごしたのでした。今回はその無念を晴らすべく、地方・大邱(テグ)から入ってみました。

何年か前にも大邱に来て仕入れ出来た思い出があるし、久しぶりに回ってみようと思ったものの、コロナ後ほとんどの店が無くなっていた ...!!(ガーン)
嘘やろ?となりましたが、良い出会いもあり何とか少し仕入れが出来ました。
でも相変わらず高い。
値段が合わなくてもどうしても買っておきたいものもあるけれど、結局は値段次第というところはあります。もともと物価は高めですが前は円安でもなく、送料も安かったから仕入れ値に関しては国内仕入れのような感覚でやってました。今はそういう訳にもいかない...が、吟味すると買えるものが無くなってしまう...が、...という堂々巡り。
10年前は荒物とか、安くて買いやすいものも、とにかく量を多く、賑やかに、という仕入れでしたが買い方、売り方も随分と変わってきました。

昨日は大邱から郊外へバスで2時間。
とんでもない田舎でまさかの乗り換えミス。そのまま行ってたら山の上の寺に行けるらしい。本数も少ないし、トイレには行きたくなるし、不安。
乗り継ぎポイントへ30分かけて歩いて戻る途中、とても素敵なお家を見つけました。
グリーンの大きなガラス張りの家で庭には保存食を醸造するハンアリ(壺)がずらりと並んでいます。どうやら家の人は畑仕事中。ここん家のご飯が食べたい...トイレを借りたい...と遠くから願いながら次のバスの時間が迫っているのでひたすら駆け足、なんとか業者さんの倉庫へ。(逃したら終了)
こういう時、よく充電が切れたりするけれどこの日は大丈夫でした。お天気も最高だしギリギリセーフ。ウインク。

大邱では北朝鮮の焼きものを見つけました。
これは以前、絵付けの柄は全然違うけれど同じ土、同じかたちのものを仕入れたことがあるのですぐに分かりました。
日本的なコップのかたちで好みだったから思い出に残っています。
当時は3客しかなかったけど、今回は大量。中華料理屋で使っていたものということですが、状態が良くて、手描きだからどれもちょっとずつ違います。 北朝鮮モノはなかなか出会えないから、全部購入。
ソウルの骨董では李朝時代のものや、逸品が見れますが私としてはクンデサ(近代史)と呼ばれるちょい古ラインが欲しいところ。
意外とそういうのものを積極的に扱う業者さんは少ないのが残念。
なんとなく、見向きもされず捨てられて残っていないのだろうと想像しています。
大邱では珍しくクンデサンをメインに扱う業者がいて、プラスチックの折り畳みソバンのコレクションを見せてもらいました。
それらは貴重で非売品だとか。欲しいものは大体非売品でガッカリしていたところ、
遠くまで来てバスも乗り間違えて大変だっただろうから1色だけ譲ってあげる、と。泣けますね。感謝ハムニダです。

今日は東大邱駅からKTXでソウルへ移動しようと朝早めに出発したのに
駅に着いたら席が満席で13:00まで乗れる列車がないとのこと。
出発まで3時間もあるけど市内に戻るには遠い...ということで
買い付け日記なるものを書いてみようかなとカフェに入ったところです。
思うところがあり裏側はあまり語らないようにしてきましたがこれを機に少し、書いてみようと思います。

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