中本さんを訪ねたのは、2012年のこと。それ以前は15年ほど焼きしめを焼いていたが、ちょうど穴窯を小さな薪窯に改窯し、すべてを一新した頃だった。紙幣が無い時代、人が生きていくために焼いた土器(焼きしめ)は雑器中の雑器であり、交易され、社会と繋がるツールでもあった沖縄のパナリ焼のようなイメージが根底にある。ある種の挫折のような経験を経て、焼きものを辞めようと思った時、道標となったのは李朝白磁だった。伝統的な白磁の型から大きく外れた、磁器と土ものの間のような柔和で自由な姿に感銘を受けていたのだという。ある時点で作品は白磁一本になったが、それは重くて、柔らかくて、揺らぎがあり、果てしなく土器に近い。見た目は白磁だが、中身はやはり人と社会を繋ぐ土器なのだ。
薪の火で長く焼き、芯までしっかりと熱を入れて、ゆっくりと時間をかけて冷ます。表面的には薪窯ならではの釉調が見えるけれど、ある時からなるべく風合いを消しているように感じた。はじめは重々しくて古物のような佇まいを纏っていた作品は、良い意味で癖のようなものが取れて、製品のように軽やかになっていった。この白は意外と空間を選ばず、どこにも馴染む。シンプルに表すと「普通で良い」と思うと同時に、いや、「普通ではない」とも思う。「普通とは何か?」聞いてみると、すぐに「普通は未来にある」との回答。そのイメージはいつか見たものではなく、掴むことのできない、彼方にある光のようなものかもしれない。
先日、久しぶりに山深い龍神村の家を訪ねた。相変わらず人の気配がない。
朝は静かにやってくる。ゆっくりとコーヒー豆を挽く音が鳴りはじめ、まだ薄暗い台所にケトルの湯気が立ちのぼる。しんと静まりかえった山の家に、光は真っ直ぐに降りてきた。
ー inner light(内なる光)
ふと、そんな言葉を思い出した。誰にしも降り注ぐ、小さな光。暗闇に潜んでいたものへ少しずつ陽が届き、やがて一日は動きはじめる。調律のように繰り返される日常から、白い器は生まれるのだ。そんな風景のなかに身を置きながら、私は光と未来について考えていた。
Profile)
中本純也
Junya NAKAMOTO
1998年 和歌山県龍神村へ薪窯を作るため移る
2011年 焼締から白磁の器に
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2022.9.10(土)- 19(月)→●
2026.5.9(土)- 19(火)→●
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photo : Shingo HIKIAMI
